

6月5日、中国で開催された全国幼児基本体操大会の幼児教育研究論壇に提供した「ナザレ幼稚園の教育資料」の中からの転載です。
日本の乳幼児期教育
を理解するために
〒 227-0033 神奈川県横浜市青葉区鴨志田町1264
学校法人四恩学園 ナザレ幼稚園長 瀬野哲裕
第一節、 乳幼児期は何歳迄だろうか?
①…国連の「子どもの権利委員会」は、(2005年)に一般的意見7号(乳幼児期に於ける乳幼児の権利の実施)・第3条(人権と乳幼児)・4項(乳幼児期の定義)に「乳幼児期は8歳迄である」と明記した。
②…日本は子どもの権利条約を、既に(1989年)批准した。
国際条約は、(国内で制定された法律を規制する)上位法である。
従って日本国は、国際条約に基き権利委員会の意見に従って(0歳から8歳迄の乳幼児期の)子どもの権利を犯した者を「人間の権利」を犯した罪に依り処罰しなければならない。
@、……人間の乳幼児期は、0~8歳迄である。
第二節、 人間は何歳から人間らしい特性を持つのだろうか?
①…すべての生物は、それぞれに固有な「成長と発達の予定表」を持っている。
それは人間も同である。人間は生まれてから老人に至る迄の間に(心理的に又社会的に)積み重ねられて予定された8期(1乳児期:2幼児期前期:3幼児期後期:4児童期:5青年期:6成人期:7壮年期:8老年期:)の、人間に固有な成長と発達の階段を上る。……(Erikson, E. H.)
②…1乳児期:2幼児期前期:3幼児期後期:迄の3期を特に乳幼児期と言う。
③…子ども達は、人間に固有な「成長と発達の予定表」に従い、乳幼児期のそれぞれの個人に特有な環境の中で、その子なりに「成長と発達」の課題の解決に取り組み、課題解決の「成功や失敗」を繰り返しながら、成長と発達の階段を上る。
④…彼等の課題解決の「成功と失敗」は、次の段階の課題解決の「成功と失敗―成長と発達」に大きな影響を与える。
@……乳幼児は、一期から三期迄の「特質的な時期」を経過して、8歳迄の乳幼児期に、それぞれに固有な「人間の基本的形態」を形成する。
第三節、 「人間の基本的形態」とは何だろうか?
①、…乳幼児期の第一期(0歳から二歳迄の乳児期)の「母と子の出会いの時期」は、「自己自身と母親との区別」がまだ明確でない「特質的な時期」である。
この特質的な時期は、乳幼児が(母親と行動を共にしながら)(それぞれに固有な環境の中で)両親や保護者に十分に面倒を見て貰って、《「世界の安全と自己への自信」を確認する課題》に遭遇する特質的な時期である。十分に面倒を見て貰った乳幼児達は、心の奥深くで《「この世は、必要なときには何時でも助けてもらえる安全な所なのだ」、そして「私は、世界で一番大切な宝なのだ」》と感じる事ができる。
この特質的な時期では、(母は)乳幼児の中に「自己の命が流入する」と感じ、(乳幼児は)母親の「喜びと悲しみ」を自己の「喜びと悲しみ」に同一化する。……(M/Scott Peck,W.D)
この「特質的な時期」の(母と子の)選択は、全てが「あなたの為に行う選択」である。
この特質的な時期の選択は、「人間の基本的形態とその特性」の中の(人間の第一の特色である)【「他の人に対する善い行い」を、それ自身目的として選択する力(Human rights)】の基礎を作る。
私達は、万一にも子こども達の教育において、第一段階の課題の解決に失敗し、人間に特有な「成長と発達の予定表」から子ども達を転落させて、愛情を求めて終わりなく世界をさまよう不幸な人々の中に落とす事があってはならない。
②、…続いて迎える乳幼児期の第二期(三~五歳迄の幼児期前期)は、乳幼児達が(母親とは別にある)自己自身の発見と、そこから生まれる「競争による発達」の課題に遭遇する特質的な時期である。「競争による選択」は、全ての(二つ以上の個体の遭遇=有性生殖によって生まれる)生命体が「成長と発達の予定表」に、生き残りを懸けて採用した進化の戦略である。
(乳幼児期の第一期で十分に面倒を見てもらい)乳幼児期の「第一段階の発達の課題」の解決から「人間の第一の特色」を手にした乳幼児達は、「第二段階の発達の課題」に遭遇した時、「第一段階の発達の課題」の解決を引き継いで「愛情の課題と競争の課題」と連結し、愛されるためには《両親や先生に愛されるには?「どんな人になったら良いか?どんな事をしたら良いか?」と互いに争い》自ら進んで、愛情と競争との相矛盾する二つの課題の同時解決を「自己犠牲を伴う選択」によって行う。
このは、他の生物では見ることができない。
子ども達の、「二つの課題」を同時解決する取り組みは、生命の進化の頂点に立つ人間だけが行う奇跡(自己犠牲を伴う選択)の下で、(出会う者の心を動かす感動を伴って)進行する。
それは人間の(他の全ての生物に比べて)最も優れた美しい姿である。全ての英雄物語は、この課題の解決の取り組みからから始まる。人間ならば(その問題に取り組む子ども達を見て)又、「その姿に、その物語」に出会って、感動しない者はいない。
乳幼児達は、「その思い」が両親や先生に受け止められ(両親や先生達が受け止めた感動に比例して)「この世は信頼を置くに価する所だ」と、発達課題を解決し、人間の第二の特色である「世界に対する信頼と連帯」を獲得する。
この特質的な時期の課題の解決から「人間の基本的形態とその特性」の中の(人間の第二の特色である)【世界を信頼して、互いに連帯する力(Human rights)】が生れる基礎を造る。
私達は、万一にも子こども達の教育において(第一段階の課題の解決に失敗し、それに続く第二の階段の発達課題の解決にも失敗して)子ども達を人間に特有な「成長と発達の予定表」から転落させ、人間の範疇を外れた犯罪者の世界に、獣の住む地獄の世界に落とす事があってはならない。
③、…続いて迎える乳幼児期の第三期(六~八歳迄の幼児期後期)の時期は、乳幼児が「昨日は今日の、今日は明日の続きである」そこにある《「原因と結果」の関係は道理である》と理解して「約束や義務を先に、楽しみを後に」できる特質的な時期である。
この特質的な時期の《「原因が結果をもたらす」と理解する》乳幼児の課題は、乳幼児が(善因が善果をもたらすと)胸の内面で辻褄が合い納得して、《「善は悪に勝る」が故に「天道は必ず勤に酬いる」》と「確信ができるか否か」の課題である。
乳幼児期の第一期と第二期で「自己への自信と、世界への信頼」を学び、第三期で「善は悪に勝る」ことに「大切な意味や価値」を発見した乳幼児達が「その心に抱いた想い」は、教師達の「学校の中で(虐め等の)悪が栄えてはならない」「善は悪に勝る、それは真理である」と語る言葉と整合する。
この時、乳幼児達は(かく語る)父や教師達の姿の中に「最後には真理が必ず勝利する」と告げる「父や教師達の心からの声(真理の声・真言……空海)」を発見して、「自己の想い」を確信に変える。乳幼児達の確信は「彼等自身の希望」となって、(「第三期の発達課題」の解決の中から)「未来への希望」が初めて誕生する。
かくして「人間の基本的形態とその特性」の中の(人間の第三の特色である)【未来に希望を見出して生きる力(生存権The right to live)】の基礎が、この特質的な時期に誕生する。
第四節、人類が歩いてきた発達の道の特色。
人類の歴史 を振り返ると、人類の大多数の人々は「未来には必ず善が悪に勝る」と信じて又(かくあって欲しいと願って)明日への道を歩いてきた。
「悪が善に勝って」明日は人類が滅亡すると信じた道を歩いた人々は少数であり、その道を歩いた種族は絶滅した。
多くの人が歩いた跡が道になる。人類が誕生して十数万年間、人類が歩き続けてきた発達の道は積み重って、(現代では)私達人類に固有な成長の道となった。
人類が歩いた「発達課題の問題」を解決する道は(心理的に又社会的に積み重ねられて)文明や文化の蓄積となった。
文明を持たない人類はいない、文明は人類の発達の課題となり、私達現代人類の「成長と発達の予定表」になった。
私達が知りうる限り人間は宇宙の中で唯一の知的生命体である。そして、人間は、乳幼児に全ての生物の中で最も優れた、感動的な、美しい人間の基本的特性を形成する。
もし「現代の世界があまりにも暗くて」どちらに向かって行けば良いかと、判断に迷うことがあった時には、(すべての生物の進化の頂点に立った)人類の誇りに懸けて、私達はためらう事なく、子ども達とこの国と民族の為に『人間の成長と発達の予定表』に従い、乳幼児の発達課題の解決に努め【未来に希望を見出して生きる力(生存権The right to live)】を手にする道を見出して、その道を歩かなければならない。
人間の「基本的形態とその特性」の形成は、時間と手数が必要な(大人と乳幼児が手を繋ぎ・連携して行う)共同作業である。
今まで如何なる出来事に遭遇した時であっても、人類は(如何なる国であれ民族であれ)乳幼児教育の本質的な魅力や感動、そして輝きを失うことはなかったし。又あってはならない。
第五節、日本民族が歩いてきた発達の道の特色。
日本の古代の代表的な文化人である山上憶良(660-733)は、702年第七次遣唐使船に同行し、中国で儒教や仏教など当時の最新の学問を学んで帰国した。山上憶良は帰国後、東宮侍講(皇太子の教育の講師)を経た後、伯耆守、筑前守等の地方官を歴任した。
彼は「子どもを大切にする中国の文化」(子宝=道教)の強い影響を受け「子等を思ふ歌」を読んだ。
《銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも》
日本の人々は山上憶良に共感し、その後「子等を思ふ歌」は「子どもを大切にするのは古来からの日本の文化」であると、日本の文化の中に吸収し同化した。
日本は文字や思想(儒教・道教仏教等)沢山のことを中国から学んできた。この事実は何人も否定できない。
その後も、日本民族の文明は、大陸から伝来してきた文化の影響を受け続け、徳川幕府に至っては、中国の朱子学を(日本の後期封建社会の規範として)幕府の正課と定めた。
日本では、1867年徳川幕府に変わって明治政府が成立した。しかし、明治維新と呼ばれる変革は、徳川幕府封建制度に携わる下級武士達(主として権力を相続できない次男や三男達)が、明治天皇制度を作って徳川幕府から権力を奪い取る「封建制度の中での権力争奪」の改革として始まった。
明治維新から始まる日本の近代化は、《長男は家とその財産を相続して守り、次男以下は進学し競争して、企業に就職し又官僚となって手柄を立てる》立身出世競争に参加する日本的な特色を持った改革となって発展する。
明治政府の封建制度に対する改革は、西洋の《ブルジョワジー達の封建領主に対する反乱》や、中国の《農民階級の地主階級に対する革命》とは異なった発展の道をたどる。
徳川幕府から権力を奪い取った明治政府は、徳川幕府の封建制度から「市民の自由を解放する努力」や、又「地主から農地を農民に解放する正義」の、自由や正義の問題の一つ一つを取り上げる(手間暇が掛かる「課題解決の段階的連続性」を)放棄して近代化を急ぎ、立身出世競争が主導する(効率性を重視し成果を急ぐ)政策を採用した。
明治政府は、手柄を立てて立身出世をすることを「唯一の目標とする競争」の特性に従い、《自由や正義よりも(効率性を重視して成果を急ぎ)子どもの能力や成長を無視して、早期教育を取り上げ(手間暇が掛かる「課題解決の段階的連続性」)教育を放棄して近代化の果実を急いだ》 その結果、乳幼児の一つ一つの能力の養成や研修は、小中学校のそれらに比べてさして重要でない仕事に位置づけられた。
かくして現在では、(乳幼児教育は本来の魅力を失い)乳幼児教育を志す人材の確保が危ぶまれるようになった。
その毀誉褒貶はいずれにしても、(明治政府を設立した)薩長同盟の下級武士達が試みた「徳川幕府の改革」は進行して現代の日本は、改革の最終段階(太平洋戦争の敗戦の結果)として、日本的な家族を中心とした(祖父母が孫の教育を引き受ける)社会の仕組みは分裂し崩壊した。
今後、世界の経済状況の変化は加速する。日本でも主婦の職場への進出が増加し、保育園への乳幼児の入所が増加する。
その結果、近い将日本では来保育士の不足が保育園の運営に危機的な状態をもたらす事が予測される。
如何なる国であれ、乳幼児教育の劣化は国家や民族の未来の劣化を象徴する。
明治政府が試みた(立身出世競争が主導する)近代化政策は、近代化と引き替えに日本の「未来の希望と共に民族性をも喪失する危機」を招いた。
第六節、それぞれの国の民族の゜「意欲や競争」には、それぞれの歴史や文化に従って、それぞれの特性がある。
競争による発達には、乳幼児の第二期の「人間の第二の特色であり【世界を信頼して、互いに連帯する力(Human rights)】を創り出す特性がある。
しかし市民や農民の革命を除外した、明治政府の改革や権力の争奪の中で行われた日本的競争は、西洋や中国で行われた自由や正義の理想を掲げる競争とは本質的に相違する。
明治政府の改革は幕府制度から天皇制度への改革であって、ブルジョワジー達や農民達の階級間の革命とは相違する。
同じ様な政権の中で、同じ階級の仲間を蹴落として勝利する競争は(ブルジョワジー達が掲げる自由や農民達が掲げる正義の)革命の理想を持ち得ない。
従って日本の「下級武士達の競争」には権力争奪の影が、西洋の「ブルジョワジー達の競争」には自由の影が、中国の「農民階級の競争」には正義の影が差す。
明治維新以来の日本的競争の概念に従えば、地位や利権の争奪競争の結果(勝利者は当然の権利として)社会制度の中での地位や利権の要求が必ず付随し、敗者はそれらを失って当然と考える。
それらの「地位や利権を争う競争」の中から、相互の「信頼と連帯」を創り出すのは困難である。
同じ仲間の中で、互いに相手を蹴落とす競争の世界は、むしろ地獄の中で、苦しみの地位争奪の争いをする世界と酷似する。地獄の中で苦しみの地位争奪の競争は厭わしいものでこそあれ、競争へ人々の参加を引きつける魅力はない。
かかる厭わしい競争に、自由や正義の理想を掲げることはできない。
日本の若者達の意欲や競争力が、世界の若者達と比較して「劣化している」と問題が指摘されるのは、それぞれの国の競争の特色と決して無関係ではない。
日本の「下級武士達の権力争奪」の競争は、「手柄を立てて立身出世する」願望によって構成されている。
その立身出世競争は、隣国に対する戦争を引き起こし、太平洋戦争の結果日本の国民は「未来の希望と共に民族性をも喪失する危機」を体験した。
その日本的競争の特性は現代の若者に、競争に対する「意欲の喪失や競争力の衰退」をもたらした。
日本も中国も、千年を超える長い年月と多くの犠牲を払ってそれぞれに「未来には必ず善が悪に勝る」と信じた「明日への道」を歩いて「自己の社会と文化」を造ってきた。
(幾多の試行錯誤があったにしても)民族の文化は、民族の大切な財産である。私達はそれらを(私達の子ども達、そして民族の未来の希望の為に)大切に守らなくてはならない。
日本では、多くの人々が、隣国である中国の民族の文化《家庭や(祖父母を含めての)家族と公的教育機関、又相互の連携の中で行われている「課題解決の段階的連続性」》即ち教育が、どのように発展するかと(思想や政治の立場の違いを超えて)注目している。