◆平家終焉の地
国道8号線の竜王町への入り口近くにある、平家の総大将であった平 宗盛(父)と平 清宗(子)父子の処刑場所に立てられた塚である。塚は「平宗盛郷終焉之地」と刻まれた碑と風雪に耐えた石仏がまつられている。歴史の悲しい一こまを後世に伝えている。塚の前に広がる池は、父子の首を洗ったという言い伝えから「首洗いの池」と呼ばれ、あまりの哀れで,蛙がなかなくなったという言い伝えもあって、「蛙鳴かずの池」とも呼ばれている。
◆大笹原神社
創建は 不明ですが平安中期の寛和2年(986年)と伝えられている。現在の本殿は応永21年(1414年)に馬淵定信によって再建されたものである。本殿は、欄間や脇障子に美しい彫刻装飾があり、国宝に指定(明治34年)されている。須佐之男命(すさのおのみこと)がまつられている。大笹原本殿の左にある篠原神社本殿は国の重要文化財に指定されている。大篠原は粘りの強い「篠原糯」の稲が栽培されていたため鏡餅発祥の地といわれています。篠原神社は「の宮」と親しまれています。

◆篠原土
明治時代から昭和時代の初めにかけて、大篠原でとれる粘土で作った「篠原焼」が焼かれていましたが、その後あまり長く続かずに衰退しました。しかし、粘土は良質の粘土なので、陶芸家の間では使われ、全国に出荷されています。高い温度に耐え、焼き上がるとあたたかみある色合いとなり、独特のやさしさが出てくるのが特徴です。信楽焼、九谷焼、唐津焼などの陶器に使われています。

現在、「篠原土」をつかった焼き物の良さを、みんなに知ってもらい、焼き物作りを広げようと活動されている方に、野洲市高木在住の西郡公(にしごうり さとし)さんがおられます。現在、地域の幼稚園、保育園、小中学校で陶芸教室を行い、子どもたちに篠原焼の魅力を伝える活動をおこなっています。
篠原小学校では、抹茶茶碗や花器、壁かざりなどの制作をしております。

◆篠原糯
野洲市大篠原では、かって「篠原糯」という「もち米」の稲が栽培されていまして、それから作った「篠原餅」は、江戸時代には他藩にまで名がしられていました。「篠原糯」は、小篠原、大篠原、さらに北をふくめた一帯で栽培さていましたが、中心は篠原小学校の南あたりでした。大篠原の「大笹原神社」には、「餅の宮」がまつられていて、この地方が特産地出会ったことがわかります。現在、国道8号線から大篠原神社にいたる道を「もちみや通り」と名づけ、モニュメントが設置しいます。篠原小学校では、5年生が地域の方々の指導により、種の選別作業や種まき、田植え、稲刈り、脱穀までの活動を行い、収穫したしたもち米でもちつきをして、全校で「しのはらもち」の味を楽しんでいます。
 
資料は野洲市教育委員会教育研究所「まなび野洲検定 ジュニア」を参照。