稲城第八小学校のタヌキ

 昭和61年5月、多摩丘陵がまだ盛んに開発されていた頃、1匹のタヌキが迷い込んできた。母ダヌキはやせ細り、本校の貯水槽近くでうずくまっていた。それを教員が見つけ、使用されていないウサギ小屋に入れて介抱した。母ダヌキは元気を取り戻し、7匹の子ダヌキを産んだ。うち4匹が、育った。子どもが産まれて15日後、母ダヌキは小屋の金網を食い破って脱走しそのまま戻ろうとはしなかった。残された4匹に哺乳瓶でミルクを飲ませようとしたが、最初は受け付けなかった。しかし、夜は家に抱いて帰り、授乳をしたところ、一週間後にようやく飲むようになり、生き延びることができた。
 結局1匹はもらわれていき、3匹を本校で育てることになった。1年、2年と経ち、すっかり大人のタヌキになり、児童の人気者になった。10年もすぎた頃から、タヌキにも老いが目立つようになってきた。そして11年目に1匹目が、12年目に2匹目が死んだ。
 平成13年9月4日、飼育担当の先生が餌を与えるために小屋に入ると、最後の1匹が眠るように死んでいた。産まれて15年3ヶ月の歳月が過ぎていた。
 多摩動物園の動物相談員の話によると、世界の主な動物園で、記録に残っている最も長く生きたタヌキは、ロンドンの動物園で13年9ヶ月だそうである。ちなみに日本では、上野動物園の本土タヌキが7年9ヶ月生きたという記録が残っているそうである。このことからも、15年3ヶ月生きた本校のタヌキはいかに長生きしたかがわかる。たぶん、人間にたとえれば、100歳以上だろうという話である。
 ここまで長生きできたのは、児童たちが、タヌキを本校の自慢の一つとして大切にし、優しく見守り続けたからだろう。そして、なによりも飼育担当の新崎教諭をはじめ、多くの教員が献身的な飼育をしたからだろう。
 天寿を全うしたタヌキの3兄弟は、タヌキ小屋の桜の木の下で、安らかに眠っている。

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