豊漁紀念碑

 厚田村教育委員会 生涯学習アドバイザー 大黒先生から、明治42年に建立され厚田神社に現在も残る「豊漁紀念碑」(まま)を読む機会を与えていただきました。村史年表に内容のごく一部が記載されている以外、活字としては記録されていないようです。一部が風化してかなり読みにくい状態になっていましたが、当時の状況が伝わる資料です。
     (石黒 隆一)

 

 

嗚呼隆盛ナル哉近年厚田郡ノ景況ヤ昔時荊棘蒙荳トシテ路ヲ遮リ熊狼巣窟ヲ營ム今ヤ變ジテ人家櫛比街トナリ郡中戸数四百八拾三人員二千四百□
内百五拾八戸ハ漁業家ニシテ其ノ鰊營業ニ使用スル建網数百貮拾三統差網数三千六百放之ニ使役スル漁夫四千百餘人ノ多キニ至漁業者ハ月ニ年三□□□
改良シ商買新ニ店舗ヲ建築シ其他道路ノ開鑿役場学校病院等ノ新築ニ至ル迄僅少数年ノ間ニシテ殆ド昔日ノ面目ヲ一新セリ是其原因スル処各自勉強□□
ムル処ナリト雖モ抑亦天資神護ノアルニアラズンバ焉ンゾ如斯幸福ヲ享クヲ得ン殊ニ明治廿四年ノ鰊漁期タルヤ風伯暴威ヲ震ハズ海神怒ヲ發セズ為□ニ漁夫□□ ノ念ナク楽シテ海上ニ其業ヲ執ルヲ得

一名ノ災害ナキノミナラズ本郡開闢以来未曾有ナル五萬石餘ノ捕獲ヲ得タルハ偏ニ天資神護ノ為ス処ニシテ漁業者□ 者誰カ其神恩ノ廣大ナルヲ感戴セザルモノアランヤ

然ルニ我厚田郡ク社八幡宮遥拝所ハ郡民尊崇ヲ盡ス神霊ノ祈願所ナルヲ以ッテ本年漁獲五萬石ニ髪 髴タル五拾餘ノ石壇ヲ新築奉納シ當時ノ紀念トシu将来ノ豊漁幸福ヲ祈ラン事ヲ發起シ

依ッテ畠山清太郎佐藤辨蔵藤田利兵衛新山伊三郎矢崎常三郎佐藤 長左衛門笹原萬蔵小坂徳司古谷徳松和田富司山本平吉佐々木善吉吉田付勇作諸氏ノ賛成ヲ得寄付金ヲ募リシニ比挙ヲ美トシ続々資ヲ投ズルノ有志者アリ日ナラズ シテ竣工ヲ告ク依ッテ茲ニ紀念ノ標ヲ建テ當時ノ概略ト寄付者諸氏ノ姓名ヲ録シ永ク神護漁民ヲ埀レンヲ祈リ併セテ紀念ニ供ズト云爾
   明治廿四年七月    厚田ク社祠官   萩原 泰能
                 發起人 上野  正


○昔時荊棘蒙荳トシテ路ヲ遮リ
 (昔はいばらなどが暗く生い茂って路をさえぎり)
○人家櫛比街トナリ
 (人家が櫛の歯のように隙間なく並んでまちとなり)
○風伯暴威ヲ震ハズ海神怒ヲ發セズ
 (風の神は暴威をふるわず、海の神は怒りを発せず)