厚田中学校の開校
 

 厚田中学校開校の頃の様子を初代鈴木校長先生と、同窓会土門会長さんの想い出から紹介します。どちらも開校50周年記念誌から引用いたしました。

 


鈴木校長先生の言葉

 

  
  新制厚田中学校開校当時の懐かしい想い出

初代校長   鈴 木 藤 吉

 厚田新制中学校の辞令を頂いた時、大きく重い荷物を背負わされた感じでした。
 それまでの日本の教育が惨敗した直後でもあって、そのショックは大きく響いた。終戦の日まで日本の教育の中心であった「御真影と教育勅語」が引き上げられた時、困惑したのは自分一人ではなかっただろう。
何しろ全くのゼロからの出発だったのである。
 それでも生徒たちは朝になれば学校に集まって来る。
中学生になったんだという自負心を満足させたいのであろう。
 明るい笑顔で「お早うございます」と挨拶されれば教師として可愛くて、生徒の心を満足させてやりたい。
 そのためには校長として何をなすべきか?最初に浮かんだのは校歌・校章(帽章)だった。
 否々それよりもっと先にやらねばならぬことがある。
それは先生方を揃えることだ。
 ぐずぐずしておれば他校に取られる。
 急いで先鞭を付けておく必要がある。
 急がねばならぬと、心ひそかに決意した。
 こんな切迫した時でも   天は吾(厚田中学校) に味方してか この田舎にも適切な方たちが見付かり、一応(英・数・音・社・国)とにかく顔を揃えることが出来た時は心からホッとした。
 〔校歌〕の原案もどうにか間に合い、関係者の協力でピアノ曲風の音譜を付けていただき、明るい元気のいい・歌い易い校歌が出来上がりましたこと、本当に心から深く有り難く感謝しております。

 厚田中学校当時の思い出

同窓会長(第一回卒業生)   土 門 隆 一

 厚田中学校が開校した当時を顧りみますと、昭和二十二年の終戦の黒い傷あとを残した混乱期で毎日の衣食にことかき、昼はどの家でも馬鈴薯とカボチャの塩煮が主食でしたから、生きていくことが大変な時代でした。
 その上開校したとはいえ校舎もないため旧厚田小学校の職員室や教室など間借りをして授業をしたものです。
 教科書は風呂敷に包みながら通学をし授業を教わったのですが、その教科書といえば更紙に印刷をした様なものですから何回か開いているうちに教科書がやぶれそのたびにノリで貼ってそれを大事に使っていました。授業中においてはグランドの整備作業も週に数回はあり、スコップか草取を持って登校をしたことなど今は本当に懐かしく思い出されます。私たちは高等科二年を卒業していればだれでもその年に中学三年になれたものですから、こんなうれしいことはありませんでした。特に修学旅行も生徒の希望をききながら札幌の日帰りの修学旅行でしたが経済的なことから全員出席することは出来なかった訳で、如何に日常生活が厳しかったかということは想像出来るものと思います。
それだけに初代の鈴木校長先生を初め諸先生方のご苦労も多かったのではと察し感謝をしています。


第一回卒業記念写真  昭和23年